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kazuosasaki blog

Ant's Life

A/C Magazine vol.34 / 2009年 1月

アリ社会にある文殊の知恵

古い言葉ですが「三人寄れば文殊の知恵」と言います。「三人同じく行くときは必ず一智有り」とはある偉い禅師の教えです。我が家における意志決定原理もこれに近いものがあり、家内と長男と私の三人による知恵比べ。私の浪費衝動に対して、他のメンバーふたりが、猛然と反対意見を述べ(時に実力行使)、これによって当家の出費は、ようやく理性的レベルに落ち着くのです。

実はこの「文殊の知恵」システムを採用しているのは人間だけでは無いということが、動物行動学の研究から分かっています。例えばアリの社会。その構成員数からいってかなり巨大な集団が、営巣活動、狩猟行動、敵対グループとの戦闘などを、整然と行えるのはなぜかというと、「文殊の知恵」が働いているからなのです。

34-1.jpg三年ほど前、お台場の未来科学館で「アリの飼育セット」を大人気もなく買ってしまいました。「アリを飼育する土壌にNASA開発の特殊素材を使用」し、しかも「生きたアリが五匹も付属している」という周到さに、すっかりはまりました。さすが科学文明大国アメリカ製です。さらに店員さんからは「NASA土壌」はそのままアリのエサにもなるから、エサやりの心配も無いと聞かされ、私の浪費衝動は、押さえるすべもありません。

ところで、その「飼育セット」の説明書にはこんなすごいことが書いてありました。「飼育ケースに放したアリは、まずどんな巣を作るか、みんなでミーティングはじめます。」えっ、ミーティングってあのミーティングですか?確かに、水色に輝く「NASA土壌」に降り立ったアリたちは、全員で頭を寄せ合って、何かをゴチョゴチョと話し合っている様子ではありませんか。

群社会の多数決はスーパーコンピュータより賢い

触覚と触覚をさかんに触れあわせ、延々と続くアリの戦略会議。その姿にしばし釘付けとなった私ですが、はっきり言ってアリが本当にミーティングをしているのかどうかは疑問でした。しかし、こいつらが本当に会議を開くぐらいの知能を持っているとしたら、いつか人間社会は、アリ社会に取って代わられてしまう心配がありますよね。

その後しばらくしてやっと「アリの戦略会議」のメカニズムについて、納得できる形で説明してくれる記事に出会いました。2007年7月発刊のナショナル・ジオグラフィック日本版に掲載された記事「群のセオリー」から、その抜粋をご紹介します。文中のゴードンとは、生物学者ボラ・M・ゴードンのことです。
「賢いのはアリではありません」とゴードンは言う。「アリのコロニー(集団)が賢いのです」。(中略)1匹ずつのアリは小さな操り人形のようなものだが、コロニーになると周囲の変化にすばやく効率的に対応できる。それを可能にするのが、群れが生み出す「群知能」だ。

アリは別に「会議」を開いている訳ではなく、お互いの匂いを触覚で感じているだけ。これを読んで私はちょっとほっとしました。これならば、アリ軍団による人類征服は当分なさそうです。アリは自分の触覚を使って、ぶつかった相手がどんな種類か(偵察アリなのか内勤アリなのか)を判断し、またそういう相手とどれだけの頻度で出会ったかなどをカウントしているだけなのです。しかし「それだけ」の事が、全体としては非常に高度な行動を生み出すのが「群知能」なのです。

そして、この「群知能」システムは、なんと現在のスーパーコンピュータよりも賢いことがあるというからびっくり。例えば多数の工場に対して、多種多数の資材を供給する運送ルートの計算などの複雑な問題は「アリ型人工知能」でしか解けないこともあるというのです。一匹一匹の行動原理は単純でも、それが何十億匹となり、お互いに簡単なルールでコミュニケーションしてさえいれば、スーパーコンピュータ顔負けの計算能力を発揮する、それが「群知能」です。

人間の脳の中のアメーバ集団
「単細胞生物なのに迷路が得意な粘菌」

最近、毎日新聞科学欄に掲載されたこの不思議なタイトルの記事は、今年「イグ・ノーベル賞(ノーベル賞のパロディー)」を受賞した、北海道大学の中垣俊之准教授らの研究を紹介したものです。なんと、アリどころかアメーバのような単純な生物ですら「迷路問題を解く」知恵を持っているというのです。そのメカニズムとは?

エサからエサへいたるルートを迷路状にして、その間にアメーバの集団を置く。はじめ粘菌アメーバ集団は、お互いにつながり合いながら、エサへの到達ルートをただやみくもに探していく。しかしエサの吸収に効果的でないルートに居る集団はだんだん手を引き、逆にエサを効果的に集めるルートには、アメーバ集団が殺到する。そうすると、全体としては「最短ルート」にいる集団だけが残って「正解!」となるのだそうです。

中垣準教授らは「アメーバ」にむずかしい迷路問題を出題した、人類初の研究者となりましたね。よりによって「スライム状の粘菌」を相手にして「もっとむずかしく、もっとむずかしく」と迫ったこの研究には思わぬ副産物もあるそうです。なんとそれは人間の脳の仕組みをも解き明かすかもしれないということなのです。以下は毎日新聞の記事から中垣準教授の解説です。

「人間の脳も同じような性質を持つ神経細胞の集まり。よく使われる部分が強化されてうまく働く仕組みは、粘菌と似ている。粘菌は10億年以上も生き残ってきた。その賢さを研究することが、生き物全体の情報処理機能の解明につながるのではないか」と話している。

この話は、目からウロコだ。確かに人間だって、何度も迷路問題を解いていればだんだん正解に要する時間は短縮します。つまり賢くなるわけですね。沢山勉強をすれば、脳の中のアメーバ回路(脳神経細胞)が効率よく繋がり合って、それで頭が良くなると言うわけです。マンガばかりを長期間読み続けていれば、たとえ一国の宰相といえども、マンガ的脳内回路が強化されるのは無理からぬことと、国民は納得がいきます。

実体経済を脅かすシンボル経済の崩壊

34-2.jpg平成20年も大詰めを迎えようとしています。この年は後年、世界史において特筆すべき年として記憶されるに違いありません。真っ赤な紅葉の訪れとともに、日本中を不安のどん底に陥れた、サブプライム問題。グローバル経済が乱高下の末に機能不全となり、国家経済までが崩壊の危機を迎えるという、恐ろしいシナリオが現実となった年。

シンボル経済の中心渦を巻いていた巨大な「バーチャル・マネー」が消失し、今や私たちの生活に直結する実体経済を脅かしています。デリバティブと呼ばれる金融派生商品に集まったマネーの総額はなんと「六京円」近いとも言われ、いまや「兆」の単位で数えることが出来ない、巨大な富が失われようとしている。「六京円」というお金を一万円札の札束で積み上げたら、地球から月までの距離を超えるのだそうです。そんな現金は、実際には地球上には存在しないというのに。

この原稿が、またもや〆切に遅れたため(有川さんごめんなさい。)本日12月6日には「ビッグ3救済」のニュースを確認することができました。実際に米議会で可決されるかどうかは分かりませんが、米政府と議会民主党は、経営危機に陥っている自動車大手三社の公的資金による支援の方向で合意したそうです。その額たるや150億ドル(約1兆4000億円)。この支援によって米経済が立ち直るなどとは誰も信じていないのに、これだけの公的資金をつぎ込むなんて。一方、米労働省は11月の雇用統計値として、非農業部門の就業者数が、前月比で53万3000人減少したと発表しました。アメリカ発の経済危機はいよいよ世界全体を覆い尽くし、日本にも本格的な不況の波が押し寄せています。

グローバル経済における「群知能」

こうした事態に、あまりのんびりした話もしていられないのですが、今回の金融危機の引き金となった「証券化商品」や「デリバティブ市場」の崩壊について、前半で紹介した動物社会学の「群知能」の面から少し考えてみます。あまりに馬鹿馬鹿しかったら、ここは読み飛ばして下さい。

誰でも知っているように金融商品の取引というのは、少人数の仲間内で行われる取引ではありません。取引のシステムがグローバル化し、同時に電子化されている現代では「三人寄れば文殊の知恵」どころか、何万人ものトレーダー、無数のディーラーが、最高度の知的リソースをフル活動させて、寄ってたかって、取引を繰り広げているのです。しかもその基盤となる理論は、名だたるノーベル経済学賞受賞者たちによって設計されたものでしょう。これこそ、地球上で最も賢く優れた「群知能」なのではないでしょうか。

一匹ではあまり賢くない「アリ」ですら、集団となればスーパーコンピュータを超えます。「アメーバ粘菌」も、集団の群知能を発揮すれば、複雑な迷路問題を解きます。それなのに、アリと同じように情報をやりとりし、高度に設計された高精度の投票システムを使って「集団による意志決定」を行っているのに、人間のシステムだけがこうした巨大な崩壊を引き起こすのは何故でしょうか。数十年に一度とはいえ、またその規模やスピードは違うとはいえ、こうして周期的に、崩れ落ちていく、人間社会の経済システムの宿命とは何なのでしょうか。

やっかいな自我の存在

人間とそのほかの生物との違いは何か?それを考えつめると結局は「自我の存在」に行き当たります。人間は、自分自身がこの世界に生きていて、この世界の時間を旅していて、そしていつかこの旅も終わりを告げることを知っている。生物界において、こんな残酷な宿命を負わされているのは人間だけです。

そして自我というものは、時には、自分自身を危機にさらすような、重大な間違いを引き起こすことがあります。例えば、私自身を含めて、メタボ街道を邁進する個体は、生命体として維持するのに必要とする以上の、食物を摂取しがちです。肉体的なフィードバックによって引き起こされるブレーキ(もう満腹)を無視して、自我がアクセルを踏み(もっと食べ物を摂取)続けます。それが度を超した場合には、自らの肉体自体が破滅します。

食物と同様、金銭の適正な獲得量を判断することも、人間にとっては非常に難しい。金銭は、あればあったで、さらにもっと欲しくなるもの。しかしそこにある、経済的価値観の麻痺(巨大な取引に手を出す)や、情報フィードバックの混乱(投機を止めることが出来ない)、際限のない浪費行動(これは私のような事例で明らか)は、いずれは重大なる危機的状況を招きます。そして何より、食物よりもずっと恐ろしく重大な結果を引き起こすのです。「肉体の破滅」よりも深刻な事態、それは「心の破滅」です。

そもそも自我を持たない動物にとって、お金など何の意味も持っていないのです。「豚に真珠」とか「猫に小判」などと言いますが、これは一見動物の愚かさをあざ笑っているようでいながら、人間の持っている自我の幻影について、その愚かしさ表現しているのではないでしょうか。もともとは、生物にとって何の意味もないものに、人間ともあろう高等動物が振り回されている。

先秦時代からある富貴の戒め

安岡正篤先生の講義録「天地にかなう人間の生き方」(致知出版社)は、秦の始皇帝より以前の中国古代思想を集大成した「呂覧(りょらん)」という大著を解説したものです。先秦時代のエンサイクロペディアとも言えるこの書物は、全26巻、古代民族の宇宙観、自然観、人間観というべきものが、よくまとめられているそうです。

この書物を見る限り、人間が守っていくべき教えには、現代も古代もさして変わりはないと言うことが分かります。逆を言えば、今も昔も人間とは、自らの欲望と、際限のない戦いを続ける宿命にある、ということも言えるようです。最後に、安岡正篤先生の講義録にそって、「呂覧」からの言葉を、ほんの少しだけ紹介させていただきます。


世の人主、貴人、賢不肖と無く、長生久視を欲せざるなし。
しかるに日に其の生に逆らふ。
これを欲するも何ぞ益せん。およそ生の長きやこれに順えばなり。
生をして順ならざしむる者は欲なり。
三患は貴富の致す所なり。
ゆえに古の人は貴富を肯んぜざる者有り。
生を重んずるによるゆえなり。

[ 現代語訳にしてみました ]

この世の人間は誰しも、長生きをしたいと思わぬ者はいない。
しかしそのくせ毎日、その生命の原理に逆らって生きている。
欲望だけに従って生きていても何の益もない。
生命の活動原理に自然に従ってこそ、長生きが出来る。
これをはばんでいるのが、自分自身の欲望なのである。
出世をしたい、有名になりたい、お金が欲しいというような、
欲望によって、人間の体はむしばまれていく。
だから古代の賢人は、富貴に価値を求めなかった。
それは、生命そのものを重んずるからである。

Index

10:Elephant's Talk
A/C Magazine vol.36 / 2010年 8月

9:Ant's Life
A/C Magazine vol.34 / 2009年 1月

8:Bird's View
A/C Magazine vol.31 / 2008年 3月

7:「京都五山・禅の文化展」に思う
A/C Magazine vol.28 / 2007年 9月

6:フンデルトヴァッサーの建築に思う
A/C Magazine vol.24 / 2007年 4月

5:消費されていく「現在」という時間
A/C Magazine vol.20 / 2006年 12月

4:コンテンツ大量生産時代に
A/C Magazine vol.16 / 2006年 8月

3:巨大システム社会に埋め込まれた「崩壊」の危機
A/C Magazine vol.11 / 2006年 2月

2:デジタルコピーが破壊する「著作権」という概念
A/C Magazine vol.7 / 2005年 9月

1:テクノロジーとアートが出会う場所
A/C Magazine vol.3 / 2005年 5月