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追いつめてはいけない

太平記絵巻赤坂合戦孫子の第八は「九変篇」だ。

以前このブログでも紹介した「火攻篇」よりもだいぶ前に位置している。攻撃に際して避けるべき九つの変法と、利益を守るべき五つの変則があると述べている。そのうちの九つの変法というのを、以下簡単に紹介しますね。

1:高地に陣取った敵を攻撃してはならぬ。敵は勢いを得て味方は労する。
2:丘を背にした敵を正面攻撃してはならぬ。
3:わざと逃げる敵を深追いしてはならぬ。敵になにか計略がある。
4:精鋭な敵を、まともに攻めてはならぬ。
5:おとりの敵兵にとびついてはならぬ。
6:帰ろうとする敵兵にとびついてはならぬ。
7:敵を包囲するときには、完全包囲してはならぬ。
8:追いつめられた敵にうかうかと近づくな。
9:本国から隔絶した敵地に長くとどまるな。

どれも、兵を率いる将の心得として重要なこと。この「九変篇」に述べられている法のうち、特に注目をひくのが、7番目の、敵を包囲するときには完全包囲してはならぬ、という教えです。原文では「囲師勿周 ( 囲地は周するなかれ )」という表現になります。

こちらが攻めている敵を包囲するときは、完全に出口をなくすのではなく、どこかに逃げ道を残しておくこと。通常の感覚だと、敵を全滅させてしまうためには、それを完全包囲して殲滅したくなるでしょう。こっちだって怖いしね。だけど孫子は、はりきりすぎてこちらの損害も多くては、仮に戦いに勝ったとしても意味が無いと教えています。

完全に包囲されてしまった敵は、死にものぐるいで抵抗してくる。それだけに、攻めて優位に立っている味方も、思わぬ損害を被る可能性がある。また、戦いというものは、要するに「勝ち」を決めれば良いのだ。逃げ道を見せれば、敵兵は逃げ道に殺到する。それで勝ちが決まればそれでいいのだ。

天正五年十月、別所長治を三木城に攻めた豊臣秀吉は、このことをよく心得ていました。秀吉勢が外まわりの塀をうちやぶって攻めこみかけたとき、城内からは笠がさし出された。(これは降参の合図です)秀吉側の寄手の兵は、これを許さず、あくまで全滅作戦を続けようとしました。

すると秀吉は、「そうはいわぬものだ。戦さは、六、七分勝てば十分なのだ。降参人を討ち取ったりすれば、敵は必死になる。相手に逃げ道を見せて、早く勝利を得るのがよい」といって、降参人に手を出すことを許さなかった。かしこい!

最近のビジネス書や、社会人マナーの教科書などにも「相手をとことん追い込む議論はしないように」という教えがのっていますね。会社での会議や、研究会の議論などでも、いらっしゃいますよ。どーでも良いことで、とことん激論を交わす方がた。まわりはハラハラドキドキなのだが、本人たちは勝負が決するまで攻撃をやめない。どーでもよいことでね。どーでもよいことで、またお友達をなくしちゃうよ。

孫子の教えは、現代社会の対人関係においても、示唆の多い言葉に満ちています。「九変篇」の七。窮鼠かえって猫をかむ。2000年後の今にも通じる真理ですね。

本稿は、村田宏雄・北川護・村山孚共著「孫子」(昭和37年・経営思想研究会刊行)の内容を参考にさせていただきました。