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苦悩する天才

1918年くらいの写真らしい。ハリウッドで、チャールズ・チャップリンが自分自身のために建てた映画スタジオ。おそらく「犬の生活」などの短編を制作しているころの、撮影セットでのスナップだろう。スクリーンで見る、ドタバタ喜劇のチャップリンとは違って、深い思索に沈んだような表情をしている。

この時代のチャップリンは、ラ・ブレア通りのこのスタジオで、時間も予算も、好きなだけかけて、「自由な映画制作」に没頭できるようになった。カーノウ劇団の一員として渡ったアメリカで、成功のきっかけをつかんだチャップリンは、この頃は、まさに破竹の勢いで、映画界の成功の階段を駆け上がっていた。ミューチュアル・フィルム社との、週給1万ドルにボーナス15万ドルという契約を終えたばかり。今は、ファースト・ナショナル社との間で、年間100万ドルの大芸術家として、名を馳せていた。世界中がチャップリンの喜劇に酔いしれていた頃だ。

しかし、こうした大成功の裏で、チャップリンは常に「芸術家としてのカベ」と闘っていたのだった。この頃になると、彼は単なるドタバタ喜劇役者の役割を超えて、監督、演出家、脚本家といった仕事も兼ねるようになった。まさに映画の全責任者である。年間100万ドルは、前もって契約されていたとはいえ、出す映画はすべて成功させなければならない。時には、このスナップのように深く思索に沈むこともあったという。ひどい時にはアイデアがまとまるまで、2〜3日もの間、撮影が中断する事もあった。

「チャップリン自伝 (下) - 栄光の日々 -」の前段のほうに、映画制作の基本について書かれた部分があり、とても興味深い。その中から、アイデアを生み出すことに関する部分を紹介する。

「わたしがどうして映画のアイデアを思いつくかという質問は、何度かインタビューで受ける質問だが、いまもって満足に答えることはできない。ただ長い間の経験から、アイデアというものは、それを一心に求めてさえいれば必ずくるということを発見した。たえず求めているうちに、いわば心が想像力を刺戟するような出来事を見張る物見やぐらになってしまうのである。(中略)では、どうやってアイデアをつかむか? それには、ほとんど発狂一歩手前というほどの忍耐力がいる。苦痛に耐え、長期間にわたって熱中できる能力を身につけねばならぬ」(『チャップリン自伝(下)』 pp.62 )

また、大きな成功を手にした後も、心理的な苦労は絶えなかったようで、このようにも書いている。「人生とは息つく暇もない闘争の代名詞である。恋愛の問題でなければ、ほかの問題がある。成功はすばらしいが、成功すればするで、人気という移り気な妖精におくれをとるまいとする苦労が生まれる」

ファースト・ナショナル社時代のころのチャップリン作品に、こうした「産みの苦しみ」や「人生との闘い」の跡は見られない。しかし実際は、このようにして、日々の創作に悩み苦しんでいたのだ。こうした「苦しみ」の部分は、最終的な作品には決して現れる事はないのだ。実際の考え抜き悩み抜く毎日は、冒頭に掲出したスナップのような写真にしか残っていない。

また、「笑える喜劇をつくること」がいかに難しいものか、以下のチャップリンの述懐から読み取ることができる。「思い上がりととられるかもしれないが、ドタバタ喜劇にこそもっとも厳しい心理学が要求されるのだ」(同書 pp.60 )

「チャップリン自伝 - 栄光の日々 -」は、もともと一巻ものだった自伝をふたつに分けたものの後半部分である。前半の「チャップリン自伝 - 若き日々 -」と比べて分厚い。アマゾンでも手に入りにくいところを見ると、あまり売れなかったのだろうか。文庫とはいえ、600ページ近くもある大部だ。なかなか読み終えるまで苦労した。しかし、なんとまあ、素晴らしい資料だろうか。「ライムライト」までの主要な作品について、制作から公開にいたるチャップリンの体験や心情が細かく書き記されているのだ。

天才チャップリンの「人生の闘い」の記録を、ゆっくりと辿らせていただく幸福。彼がこの本を書き残してくれたことに感謝します。

Photo:wikimedia