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WEBマガジン 連載アーカイブ

フンデルトヴァッサーの建築に思う

A/C Magazine vol.24 / 2007年 4月

ウィーンの空に立つタマネギ煙突

今年、二十年ぶりに訪れたウィーンで、私は改めてフンデルトヴァッサーという芸術家の真価を知った。というよりも、フンデルトヴァッサーがとても好きになった。

このところ、京都国立近代美術館、日本橋三越本店と、回顧展が続くフンデルトヴァッサーは、日本でも人気上昇中と聞く。しかし正直なところ、彼の絵画作品に現れる、例の「ぐるぐるうずまき模様」や「じっと見つめる切れ長の目」などのモチーフは、これまで私にとっては、ちょっと苦手な部類であったのだ。自然と人間の共存を訴え、その思想を絵画や建築、そして彼自身の生き方の中で、ドラマチックに体現したフンデルトヴァッサーを尊敬こそすれ、あのやや偏執狂的とも言える色彩の饗宴は、私にはちょっと、味が濃厚すぎるのかもしれない。

二年間の留学を終えて帰国する長女の、アパートの片づけという言い訳で企画した久しぶりの家族旅行。ウィーンは、ハプスブルグ家の栄華と衰退の悲劇を、そのままに閉じこめた石細工のような街だ。また、モーツァルト生誕250年祭を終えたばかりでもあり、ベートーベンやシューベルトが活躍した音楽の都としての誇りに満ちた姿も変わらない。雨に濡れる石畳を見つめていると、ウィーンのようなヨーロッパの古都には、まるで時間の流れというものが存在しないような気もしてくる。街全体が重厚な石造りで、あちらこちらに、歴史的なモチーフの彫刻が施されている様子が、なにか、人間の一生の営みなど問題にしない、時間スケールの大きさを感じさせるのだろう。そういえば「人類の星の時間」という、とんでもない時間スケールの伝記本を残したシュテファン・ツバイクもウィーンの作家だった。

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空港からのタクシーを降り、重いスーツケースを四階の長女の部屋まで、汗をかきかき、なんとか持ち上げた。(ウィーンの古いアパートにはエレベータなど無いことが多いようだ)ちょっと一服とキッチンに座って、東側の空を窓から見る。その時私の目に「彼の姿」が飛び込んできた。そう、その彼とは、フンデルトヴァッサー氏が改装した、例のウィーン市清掃工場の煙突君のことである。金色のタマネギが、空中で串刺しになって浮いているような姿は、率直な第一印象として「できそこない」という感じがした。

そして、この「できそこないのタマネギ」君は、私の一週間の滞在中その勇姿を誇らしげに、披露してくれるのであった。朝焼けの朝など、真っ赤な東の空をバックに、金色に輝く姿は神々しいほどだ。そうかとおもうと、曇り空にシルエットとなって、ななめに煙をはきだす姿は、市民に奉仕する清掃労働者そのものになったりもする。

photo2.jpg時差ぼけもあって、夜明け前から目覚めてしまう私にとって、東の空のこの煙突君は、すっかり心の友となってしまった。彼の勇姿をデジカメに納めようとトライしたものの、いかんせん遠すぎる。ついにはデジカメのレンズ前に双眼鏡をつけた望遠撮影も試みた。それにしても、伝統を重んじるウィーン市民が、よりによって清掃工場をこんなにもユニークで目立つ形にすることに同意したものだ。1990年、シュテファン寺院の前に、ハンス・ホライン設計の「ハース・ハウス」というモダン建築が出来たときは、ウィーン子達の大論争が沸き起こったそうだ。フンデルトヴァッサーが、この煙突君を設計したときの話は知らないのだが、どうやらハース・ハウスも清掃工場も、いまではすっかり市民権を得て、ウィーン市民に愛されているのだという。煙突君が他人とは思えなくなってしまった私は、この話を聞いてほっとした。

大阪の兄弟煙突、苦境に立つ

帰国後、フンデルトヴァッサーについて少しは勉強してみようと、まずはお手軽にグーグルサーチを始めて見た。ほどなく、またもや私の勉強不足が露呈した。かの煙突君の兄弟が、なんと日本にも「二人」も立っていたのだ。高安正樹氏(有限会社スペースキッズ)のウェブサイト記事によると、大阪市のゴミ焼却場と下水処理センターがその「彼ら」である。高安氏のサイトの写真を拝見すると、この「ゴミ焼却場の煙突君」も「下水処理場の煙突君」も、「ウィーン市清掃工場の煙突君」のまごうかたなき御兄弟とお見受けする。なんという嬉しい発見だろう。ただし、日本の煙突君たちのほうは、ウィーンの煙突君よりも、やや偉そう。金色のタマネギが煙突の先のほうについているからか。

しかし、高安氏の記事を読み進んでさらに驚いた。これも私の無知を恥じるものだが、なんとこの大阪の兄弟たちは、大阪市民やメディアによる批判を浴びているという。虚をつかれた思いで、記事を読み進んでみた。2006年2月のTBS放送「きょう発プラス」という番組で展開された論調は「施設の機能とは直接関係のない装飾を施したフンデルトヴァッサーの建築デザインは税金のムダ使いである」というものであったらしい。なるほどもっともな意見ではある。先ほどまで煙突君たちの親戚のような気分にひたっていた私が、すぐに態度を変えてしまってはいけないが、確かにこのような意見も出て当然だ。かの「煙突君」たちの姿の中には、ちょっといけない部分というか、普通の良識ある人たちの神経を逆撫でしてしまう「いたずらっ子」的な要素があることも事実なのだ。(それこそが、フンデルトヴァッサーの魅力なのだろうが)

建築として公共施設としてのフンデルトヴァッサーの作品に対する評価と、この大阪市行政の対応の問題については、高安氏が非常に明快で理知的なコメントを書かれているので、ここで私は何も付け足すことが無い。(高安正樹氏記:メディアで繰り返される「フンデルトヴァッサー建築デザイン批判」に思うこと。)今批判の矢面に立たされている大阪の当局者が「本当にフンデルトヴァッサーの精神に共感し、このゴミ焼却場と下水処理施設世界に誇る建築として積極的にPRしているか」という問題が指摘されているが、私も同感である。やはり、そのへんが日本の「行政の文化レベル(もしそんなものがあるとすれば)」の試金石となるのだから。しかし、それにしてもフンデルトヴァッサー氏の芸術はすごい。常にこのように、人々を議論の渦に巻き込んでしまうのだ。日本でまで「税金vs.芸術」論争を巻き起こしてしまった。人々を喧噪の渦に巻き込んで、その上で世界を変えてしまおうというような「したたかさ」が、フンデルトヴァッサー氏の芸術の真骨頂なのかもしれない。

自然とはやさしいだけのものではない

photo3.jpg滞在時間と天気の関係で、残念ながらウィーン市清掃工場を近くで見ることは出来なかったが、代わりにフンデルトヴァッサーの設計で、本人の美術館でもある「クンスト・ハウス」に出かけた。写真で見るように、もうのっけから笑うしかない、という建物である。訪れる人々は、なんとなく皆笑顔になってしまっている。子どもなんかは、ただただ同化して遊んでしまうような空間だ。それにしても、自然との共生というテーマの建物であることは理解できるのだが、私も仕事柄、このような建物を建てる場合の「高コスト」については、おせっかいながら心配になってくる。建物のどの一部をとってみても規格品はないのだから、これは高くつく。

二階から上の美術館同様に、一階のカフェも観光客には見逃せないスポットである。熱帯植物の鉢が天井からぶら下がるカフェは、天井や壁はもちろん、床までが平面ではない。現に私が座ったトーネット・チェアなど、椅子自体には何の問題が無いのに、四本の脚が同時に床に着いて、安定することが出来ない。つまり、コーヒーをいただいている私のお尻も、決して落ち着くことはできないのであった。率直に言って、真っ直ぐな壁、水平な床での生活に慣れ親しんだ「文明人」としての私には、正直なところこのカフェは、決して居心地の良い空間ではない。第一これでは、車椅子のおばあちゃんなど、転がっていってしまうではないか。

photo4.jpg数万年前には、ゆがんだ地面の上や、大木の枝などに座っていたはずの私たちのお尻は、今ではすっかり平らな床に順応してしまった。フンデルトヴァッサーは、人類の「順応してしまったお尻」をなんとか、くすぐろうとする。「自然にはまっすぐな線など存在しない」「見せかけだけ真っ平らな床なんてやめてしまえ」というメッセージに溢れ、不揃いでいびつなこの建物は、私を含めて訪れるものに、何かを考えさせる力がある。それは、普段から私たちが使い慣れた言葉「自然」というものに対する、私たちの思い上がった常識を打ち砕こうとする。

産業革命と近代科学の力で西洋文明が築き上げた、豊かな物質社会。時としてこの文明社会の住人である私たちは、自然を支配しているような錯覚に陥る。いやむしろ「人類は宇宙すべてを掌握できる」というような傲慢な考えすら存在する。しかし、時として私たちは冷静に、人類という存在の非力さ脆弱さ、人間社会の未熟さを見つめ直す必要があるのであり、フンデルトヴァッサーは、警告の鐘を鳴らし続けたのだろう。「自然とは決してやさしいだけのものではない」

櫟社の散木(れきしゃのさんぼく)になりたや

国立民族学博物館・名誉教授、日本の文化人類学の碩学、梅棹忠夫氏が日本経済新聞に連載した「私の履歴書」の中に「櫟社の散木になりたや」という項がある。「櫟社の散木」とは中国の古典「荘子・人間世篇(じんかんせいへん)」にでてくる「散木」つまり役にもたたない無用の木についての話である。以下に要約する。

[ 徳間書店・中国の思想「荘子」岸陽子訳より抜粋 ]

大工の石(せき)が斉の国を旅した。途次たまたま曲轅(きょくえん)にさしかかったところ、そこには巨木な櫟(くぬぎ)が神木に祭られていた。その巨大なこと、木蔭に何千頭もの牛が憩うことができる。その幹の太さは百かかえはある。(中略)枝とはいえ、一本でじゅうぶん舟を作れるほど大きな枝が、何十となくひろがっている。
ところが石は、一瞥もくれずにすたすたと通り過ぎてしまったのである。
ようやく追いすがった弟子達たちが聞く、

「ねえ親方、親方の門をくぐってこのかた、こんなこしらえがいのある材料ってのは見たことがありませんよ。なのに親方は、目もくれないで行ってしまいなさる。いったいどういう了見なんで」
「生意気なことをいうな。あの木はなんの役にも立ちはせん。舟をつくれば沈んでしまうし、棺桶を作ればたちまち腐る。(中略)柱にすればしたでたちまち虫にくわれてしまう。まったくなんの役にも立たん無用の大木だ。こんなに大きく成長できたのも、もとはといえば無用だからだ」


真っ直ぐに伸びた「使いやすい」木の枝や幹は、成長するとすぐに刈り取られて、何かに使われてしまう。だから、使いやすい真っ直ぐな木はどの木も、天寿を全うすることなく、すべて中途で倒される。曲がりくねって、使い物にならない無用の「散木」だからこそ、伸び伸びと枝を茂らせて、立派な巨木にまで成長することができる。

梅棹忠夫氏はこの話がすきで「櫟社の散木になりたや」を人生のモットーとしてこられたという。文化人類学の大家・梅棹氏の、これまでの大変な業績を思えば謙遜に聞こえるが、以下の言葉こそ、氏の巨大な人生を支えてきた深い知恵だったのであろう。

「じっさい、少年時代からひとの役にたちそうにないことばかりやって生きてきたのである。いまも散木としての人生をまっとうしたいとおもっている。」

「荘子」にあることばなど、古典に埋もれたファンタジーにすぎないと考える方も多いかもしれない。しかし「老子」もそうだし、もちろん「論語」の中にもどっこい現代にも通用する鋭い警句が溢れている。まっすぐに伸びる「役にたつ木」が、さっさと切り取られてしまうという話は、まるで現代の企業社会で使い捨てにされる人間の悲哀を、そのままに映し出しているようだ。私などふり返って見れば「櫟社の散木になりたや」どころか「早く役にたつ木になりたい」と人と競い合い、だいぶ自分の人生をすり減らしてきたのではないだろうか。自分の知らないうちに、枝も幹もだいぶ切られてしまった気もする。

巨木を残したフンデルトヴァッサー

「荘子」では続く話の中で、夢に櫟(くぬぎ)の木が現れてこう語る。
「おまえもわしも、いずれも自然界の一物にすぎない。物が物の価値づけしてどうなるというのだ。価値づけをするなら、おまえのように、有用であろうとして、みずからの生命を削っている者こそ、実は無用な人間なのだ。無用の人間に、わしが無用な木かどうか見ぬけるはずがあろうか」
フンデルトヴァッサーの建築はまさに見事な「櫟社の散木」だ。だから「役にたつ木」を求める人には、その価値が分からなくても当然なのだろう。「無用の用」とはあまりにも深い思想である。ウィーンの東の空に、ただひとり立ちつくすフンデルトヴァッサーの煙突。その姿は、これからも地球という舞台で、宇宙大自然の一部として生きていく私たち人類への、深遠なる無言のメッセージなのだ。フンデルトヴァッサーは、2000年2月19日、晩年を過ごしたニュージーランドへ向かう船の上で亡くなった。しかし、彼の生き方、彼の思想は、ウィーンの空の偉大なシルエットの一部となって、今も私たちに終わらない話の続きを語りかけている。

(注:本来の発音からは「フンダートヴァッサー」と表記すべきところですが、本稿ではインターネット検索などの便宜や、これまでの慣例により、フンデルトヴァッサーとしました。)


フリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー

フリードリヒ・シュトヴァッサー(Friedrich Stowasser)、より一般的にはフリーデンスライヒ・フンダートヴァッサー(Friedensreich Hundertwasser. 1928年12月15日 - 2000年2月19日)はオーストリアの芸術家、画家、建築家。日本では「フンデルトヴァッサー」という呼び方も多く用いられる。日本語での号は姓を直訳した「百水」。色鮮やかな外見の建築でよく知られる。
ウィーンのユダヤ系の家庭に生まれ、ウィーン美術アカデミーで学んだ彼は1981年から母校の教授をつとめた。自然を愛した彼は、建築でも自然への回帰を唱え、曲線を多用した独自の様式を編み出した。 晩年をすごしたニュージーランドへ向かう客船上で死去した。
日本での作例に、東京放送|TBSの「21世紀カウントダウン時計」(東京都赤坂、1992年)、キッズプラザ大阪の「こどもの街」(大阪市北区、1997年)や、大阪市環境局舞洲工場(大阪市此花区、ゴミ処理場、2001年)がある。

10:Elephant's TalkLinkIcon
A/C Magazine vol.36 / 2010年 8月

9:Ant's LifeLinkIcon
A/C Magazine vol.34 / 2009年 1月

8:Bird's ViewLinkIcon
A/C Magazine vol.31 / 2008年 3月

7:「京都五山・禅の文化展」に思うLinkIcon
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6:フンデルトヴァッサーの建築に思うLinkIcon
A/C Magazine vol.24 / 2007年 4月

5:消費されていく「現在」という時間LinkIcon
A/C Magazine vol.20 / 2006年 12月

4:コンテンツ大量生産時代にLinkIcon
A/C Magazine vol.16 / 2006年 8月

3:巨大システム社会に埋め込まれた「崩壊」の危機LinkIcon
A/C Magazine vol.11 / 2006年 2月

2:デジタルコピーが破壊する「著作権」という概念LinkIcon
A/C Magazine vol.7 / 2005年 9月

1:テクノロジーとアートが出会う場所LinkIcon
A/C Magazine vol.3 / 2005年 5月