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WEBマガジン 連載アーカイブ

Bird's View

A/C Magazine vol.31 / 2008年 3月

白夜を求めて旅をする鳥

テレビや映画の撮影の仕事では、カメラアングルについていろいろな呼び方をします。たとえば「クローズ・アップ」「バスト・ショット」「フル・フィギュア」とか言うあれです。もともと外国から持ち込まれた外来語なので、海外で仕事をするときにも、たいがい日本での呼び方のまま通じるので助かります。でもたまに「なるほど、こういうふうにも言うのか」と新鮮に感じるカメラ用語に出会うこともあります。

オーストラリアでの、ドラマ撮影の打ち合わせ。ディレクターが「上空から見た映像」を「バーズ・ビュー(Bird’s View)」という言い方をしていました。日本でなら「空撮」とか「ヘリコ・ショット」とかいうところでしょう。人間には見ることの出来ない空からのアングルを「ヘリコプターからの映像」と言うか「鳥の見た目」と表現するか、だけのことですが、言葉としての響きは、ずいぶん違いますね。ドラマの映像も、どこかファンタジックな仕上がりになりそうな気がしてくるから不思議です。

オナガガモですふと見上げた空。その高い空を飛んでいく鳥たちの目に、地上の景色はどんな風に見えているのだろうか。飛行機の窓から見るのとはだいぶ違うだろうな。僕はよくこんなヒマなことを考えます。特に遙か遠くまで飛んでいく「渡り鳥」。一体彼らは眼下にどんな景色を見ているのでしょうか。2001年にフランスのプレジデント・フィルムズが制作した「WATARIDORI」という映画でも紹介されていた渡り鳥の一種に、キョクアジサシという鳥がいました。これはまた凄い渡り鳥なのです。どのように「凄い」のか、以下ちょっとだけ、そのプロフィールを紹介します。


キョクアジサシ:鳥網・コウノトリ目・カモメ上科・アジサシ族
体長:33.0-36.0cm(ハトぐらい)
北部ユーラシア、北アメリカ、グリーンランドで繁殖する。冬季は南半球の南極圏に渡って過ごす。日本では8~9月に観察されることが多い。千葉県、茨城県、静岡県、大阪府などで記録がある。
http://www.yachoo.org/Book/Show/739/kyokuajisasi/ オンライン野鳥図鑑・Yachoo ver4

なにげなく「冬季は南半球の南極圏に渡って」とありますが、夏の間は「北部ユーラシア、北アメリカ…」で繁殖すると言うのですから、このとんでもない渡り鳥は、北極圏から南極圏へ、そしてまた南極圏から北極圏へと、一年のうちに地球を縦に一往復するのですよ。その渡りの距離は往復32000㎞にも及ぶのです。本当にとんでもない「決死の渡り」を実行してしまう、かなり本気の渡り鳥です。
なんでまた、このように途方もない「渡り」をするのか? 渡り鳥の生態には、だいたい謎が多く、このキョクアジサシについても、本人に聞いてみない限り分からない事情があるのでしょう。一説によると、夏の北極圏は彼らにとって天敵も少なく、またエサとなる昆虫も豊富であることから、彼らはこれを「有利な繁殖地」に決めたということのようです。そしてなにより夏の北極圏は「白夜」。決して太陽は沈まないのです。つまり毎日24時間昼間であることが、彼らのお気に召したのではないでしょうか。北極圏に半年間の夜が訪れる時(日本で言う秋)、キョクアジサシはついに北極圏を離れ、地球の反対端を目指して旅を始めます。この鳥は、別名で「白夜を求めて旅をする鳥」と言われているそうです。ロマンチックな名前ですね。

地上の楽園

オーストリア上空の飛行機から筆者撮影
僕たち人間の感覚から言うとキョクアジサシのような行動は、よほどの冒険好きでないかぎり「狂気の沙汰」というべきでしょう。自力走行で、毎年地球を一往復するなんて、相当なご苦労とリスクが伴うことが予想されます。でもそういえばこの鳥、羽根の色などのデザインも未来的で、ちょっと得意げな表情をしていています。羽根もなく、地べたにへばりついているしかない僕などにとっては、うらやましい存在でもあります。

南極圏への道中ついでに、日本上空を通過する時、眼下の世界を眺めて、彼らは一体どんなことを思うのでしょう。渡り鳥の立場から、もしかすると、僕のことををこんな風に観察しているのでは…

ササキカズオ: 哺乳網・霊長目・ヒト上科・教職員科・通勤亜目
体長:150-190cm(ワシの倍くらい)
ユーラシア大陸東端の、日本列島で繁殖する。夏期、冬季には一時仮眠状態となり活動が低下する。関東では一年中、電車内で観察されることが多い。千葉県、茨城県、東京都などで記録がある。時に大阪府、京都府などでも目撃。一日に50km以上の移動を行うが、その行動目的や思考メカニズムには謎が多い。

千葉県から東京都と県境をまたいで、地べたに張り巡らされた鉄の線路の上を、西へ東へと日々往復運動を繰り返す僕の生活。鳥たちにとっては、こうした僕のような人間の生態のほうが、よほど不思議に見えるのではないでしょうか。たとえ僕が、鳥の言葉が話せたとしても、仕事のことやら人生のことやら、この「地上の楽園」の事情を彼らに説明するのは、かなりの困難が伴うことかと思います。

ところで、僕という人間の生息域は、もっと大きなレベルで見ると「東洋」というエリアに属しているようです。しかもよりによって「極東」などというどこか物騒な言い方で呼ばれています。なんで僕の住んでいる場所は「極めて東の端」と言われるのだろうか? 中学校の教室などに貼ってある世界地図を見ると、日本はまさに中央も中央、世界の「ど真ん中」に自信満々で座っていたはずです。子どもの頃これを見ると、ちょっといい気分がしたものです。それがなんで「極東」なんて呼ばれなければならないのだろう。地理の時間に先生が言っていた何か大事なことを、またもや聞き落としてしまったのだろうか?

この疑問が氷解したのは、僕もかなり大人になってから。ロンドンかどこかで初めて見た世界地図が教えてくれたのです。私が見たその地図は「日本なんて国は知らんよ」という顔をしていました。実際その地図に日本という国はありませんでした。いいえ実はあるにはあったのですが、あるべき所にはありませんでした。

その地図では、日本列島は世界の一番の右端に、か細くひん曲がった状態でへばりついているばかりでした。そう「極めて東端」にです。そして本来日本列島があるべき中央部には、代わりにあの「大英帝国」が、どーんと鎮座していたのです。その地図は私に教えてくれました。「東洋のお兄さんよく見てご覧、本当の世界の中心はここ大英帝国。あなたの国はずーっと東の端だったのですよ。現に世界を縦割りにする中心・子午線0度は、世界に君臨するこの女王の国を貫いております。」

バックミンスター・フラーの方向感覚

この時の体験で相当悔しい敗北感を味わい、僕はそれを根に持ったのだと思います。だから後になって、実は子午線の基準線0度の裏側には、日付変更線というものがあることに気づいた時は喜びました。日本はどちらかというとこの日付変更線に近い場所にあり、だから陸地としては、世界で一番早く朝が来るということになるのです。「なあんだ、大英帝国と偉そうに言っても、君たちはいつも日本より7時間は遅れているではないか」と意趣返しができたのです。

だから思います。聖徳太子が随の皇帝・煬帝(ようだい)に「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す 恙無(つつがな)きや」と書き送ったのは、正当な解釈だったと。「日没する処」と言われた皇帝の怒りは収まらなかったと聞きますけれどもね。ある意味当然です。仮にアラスカに住む友人がいたとしても「君の土地は世界で一番最後に朝が来る土地だよ」とかそういうことは、あえて指摘しないほうが身のためでしょう。

人間社会の取り決めについてどうのこうのと比較してもしようがない、ということは分かっていても、あれこれと考えるのが人間の人情というもの。自社と他社の平均年収を比べてみたり、自宅の庭の芝生を比べてみたり、頭の毛の多さを比べてみたり。こうしたパーソナルレベルのことは、今流行の「ポジティブ・シンキング」という思考法を活用することによって払拭することも出来ますよね。でも、世界地図に記されていることや、地理や社会の授業で習うような事まで、払拭してしまう訳にはいかないものです。
ところが、こうした世界の常識や社会の常識に公然と異を唱えたのが、異才バックミンスター・フラー。

彼の作ったダイマクション・マップという世界地図は、地球資源を最も効率的に活用するためのもので、人類全体が生き延びていくための知恵として考え出されたものでした。その地図には国境もなければ、なんの社会的バリアもありません。各地を最短ルートで結ぶ送電線は、地球上のエネルギーを最も効率的に人類全体へ配分するはずでした。彼の考案した輸送路を使えば、水資源や鉱物資源、そして食料も、最良の方法で世界中へ配分されるはずでした。地球上の人類社会を、最も効率的に長持ちさせる完璧なアイデアでしたが、当時大国を支配する指導者たちは、この考え方に共感を覚えることもなく、それどころか全く関心を示さなかったようですね。彼らの仕事はむしろ、常に資源を「独占」することにあるのですから。

  彼の思想は「宇宙船地球号操縦マニュアル」という風変わりなタイトルの本などに凝縮されてあります。その内容については誤解されて解釈されていることが多いように思います。近年書店においてフラーの著書がどのコーナーに置かれているかを見ると驚きます。確かにフラーの著書をどこに分類するかは難しいのですが、「建築」でも「環境」でも「現代思想」でもなく、「超常現象」や「スピリチュアル世界」などのコーナーに置かれているのを見ると本当にがっかりします。


バックミンスター・フラーのダイマクションマップ
http://www.bfi.org/node/25

バックミンスター・フラーは言います。これだけ科学文明が進んだ社会において、人間がいまだに国境を巡って揉めたり、西だ東だと言って喧嘩しておってはいかん。宇宙船地球号に乗るすべての人類が、みな同じように人間として認め合う価値観を持ち、全体として生き残っていくための思想を分かち合いなさい。西洋だ東洋だ、資本主義だ社会主義だ、大国だ小国だと、地球を分割していたら人類は全体として生き残ることはできない。こうした警句をたくさん残して去っていったフラーは、まさに「バーズビュー・空を渡る鳥の視点」で、ものを考えていたに違いないと思います。

西だ東だと言っても

バックミンスター・フラーによれば、おかしいのは東だ西だということだけではありませんでした。上も下もおかしいのです。そもそも東京で起立している人間と、ロンドンで起立している人間とでは、すでに「下」という方向が全然違うのです。地球と言う巨大な球体の上に、かなり離れて立っている、この二人の人間にとって、それぞれの「下」は一緒ではありません。彼らにとって「下」というのは、それぞれが地球の中心方向に引っ張られている方向であり、「上」というのはその逆方向にすぎません。だからお互いに自分から見て「東」とか「西」とか言っても、三次元的に見れば、それはまるでバラバラの角度を指しているに過ぎないのです。フラーに言わせれば、国際社会における取り決めと言っても、所詮は一時的で限定的な状況を、人間の限られた感覚で捉えたものに過ぎない、ということなのです。

こうしたフラーの思想に見られる価値観は、古くから東洋に見られる「相対的価値観」に通じるものがあります。老荘思想などでは、現世界の中でどんなに巨大なものも、尺度を変えてみれば小さいし、どんなに長い時間でも無限から比べてみれば一瞬に過ぎないというように、この世に「絶対的な尺度は存在しない」ということを教えてくれます。上や下、右や左、西や東といった方向も、ある特定の条件下で一時的に成り立つものに過ぎないのです。

西洋社会で発展した科学文明においては、すべての事象は観測によって測定し、記録することが可能である、という大前提のもとに世界観が組み上げられています。すべてのものに、目盛りや基準線を設けることができる、という考え方です。それに対して古代中国や、ラテンアメリカのインディアン社会では、世界を心の目で直感的包括的に捉える宇宙観というものが特徴的です。こうした世界観の中には、絶対的な中心とか端だとか、あるいは世界を分ける区分線などというものは存在しないのです。

こうした東洋の知恵も、実は地球規模で「渡り」に挑戦する鳥たちにとっては、当たり前のことだと思います。例えばキョクアジサシにとっては、単に地球の端と端に「白夜」の世界があって、そのふたつの間にあるのは、すべて、ただの中間地点なのですからね。それから、映画の撮影で使われる「バーズ・ビュー」という用語ですが、時にはこんな風にも言いますよ。

「ゴッズ・ポイント・オブ・ビュー(神様の見た目)」

10:Elephant's TalkLinkIcon
A/C Magazine vol.36 / 2010年 8月

9:Ant's LifeLinkIcon
A/C Magazine vol.34 / 2009年 1月

8:Bird's ViewLinkIcon
A/C Magazine vol.31 / 2008年 3月

7:「京都五山・禅の文化展」に思うLinkIcon
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5:消費されていく「現在」という時間LinkIcon
A/C Magazine vol.20 / 2006年 12月

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