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心の分子

astrocyte.jpgNHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」で、10代目・柳屋 小三治 師匠を紹介していた。平成の名人の高座での孤高の姿をとらえた素晴らしい番組だった。

番組中小三治師匠が、脳科学者の茂木健一郎氏に質問が興味深い。「稽古をして覚えた演目が、百数十はあったはずなのに、今はそのうち、数十しか覚えていない。その消えた演目はどこへいったのでしょうか?」この質問に茂木氏は、「繰り返し練習による記憶の強化」や「体で覚えたものは忘れない」といった、きわめて表面的な答えしか返せなかった。そこで、小三治師匠はこう言った。

「やはり先生は、脳の弁護をしていますね」。

名人の域にまで達する人、特に小三治師匠のように、修行僧の荒行のような稽古を繰り返している人は、脳や記憶というものを越えた、ある状態を掴もうとまでしているのかもしれない。つまり、人間の体を、電線や歯車のような部品としてではなく、ひとつの統合された何かに持って行くということ。精神というものが高まることで、機械やコンピュータを動かすのとは根本的に違う何かの状態に持って行く、そういう状態。特に今の小三治師匠のように、リュウマチに冒されている体を酷使してまで、闘っている人にとって、その何かとは、我々のような凡人とは、まるで別次元のところにあるのだろう。

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分子にひそむ心

「心の秘密は分子の世界のはるか彼方にあり、高度に結合された複雑な情報ネットワークの振る舞いという問題のなかにひそんでいるのだろう」(フィリップ・ボール著「生命をみる」p146)


人間を「脳で考える動物」と理解し、「知識や理屈で物事を考える」生き物として考えていては、やはり、人間が持っている何か本質的なものを、見過ごしてしまうのではないだろうか。フィリップ・ボール氏の「生命をみる」を改めて読んで見て思うのは、人間というものは「体全体で考えている」、言い換えると「体中の細胞すべてで考えている」ということだ。

脳の働きを電子計算機のアナロジーでとらえ、筋肉の収縮を自動車の走行と捉え、消化管の営みを内燃機関のように、人間を電線と歯車の集合体のように考えていてはいけない。

何兆個という数の細胞は、人間の体の部品なのではなく、一個一個が、われわれそのものである。そして、なんとその一個一個が、感情や記憶を持って生きている。もっと言えば、細胞のもう一段階先の、分子そのものにも、なんらかの記憶や感情があるということだ。人間は、このすべての細胞たちに対して、いつくしみの心を持って、感謝の気持ちを持って、生きる喜びを感じ取らなければならないのだろう。

私たちは、分子と分子との間の、複雑で神秘的な関係のどこかに生まれる何かなのだから。