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kazuosasaki blog

進化は予想外に起きる

携帯電話、テレビ放送網、自動車、発電技術、上下水道、こうした現代的技術にかこまれて、僕たちは暮らしている。そして、これらの技術の無い社会など創造することも出来ないくらい、こうした環境に依存して生きている。しかし、こうした技術が、つい最近生まれたばかりのものにすぎず、いずれすぐに、何かもっと優れたものに置きかわられていくことを、忘れている。

人間社会が享受する科学技術の進化と、自然界における生命の進化とは、非常に似た道筋をとおる。どちらも「いきあたりばったり」である。決して予定通りには進まない。進化は予定外に起きるのである。動物が持っている「眼」は、生物の進化のハイライトといえようが、その「眼」が出来上がった過程もかなり「でたらめ」である。その事実は、動物の「眼」を構成している部品が、どのように作られてきたかを見ることで分かる。

例えば、人間の眼が使っている「水晶体」は、最初バクテリアが、自分の体を温度変化から守るために生み出したものだ。 / ネコの眼が暗闇で輝いて見えるのは、ネコの網膜の裏側に、光を集めるための反射膜があるからだ。この反射膜は、はじめ魚類が使っていた浮き袋として生まれた。 / 昆虫の眼にある赤と黄色の色素は、蝶の羽も飾っているものだ。 / 網膜の桿体細胞をつないでいる繊維は、ミドリムシの尻尾と同じ構成である。眼には少なくとも5億3800万年の歴史がある。しかし、その構成要素はそれよりもはるかに古い。
( サイモン・イングスの著「見る」 p.127)

進化とは、いきあたりばったり(全方位的)に起こり、その成果は後に発見されるもの。

例えば鉄道。鉄道は最初人間の輸送(旅客)のためにのみ発明された。だから当初は誰も「貨物を運ぶ」ことなど思いもよらなかった。貨物輸送機関としての鉄道が網が完成するのは、鉄道の発明後しばらくたってからのこと。「ジッパー」も最初は、服やズボンに使われることは無かった。そもそもは、穀物を運ぶ袋の口を閉じるために発明された。当時は、洋服の開口部を止めるものは「ボタン」と「決まっていた」のだ。

優れた技術は、進化が起こった後に誰かに発見され、誰かに評価を受ける。おそらく、いつも時代にも「変わり者」というありがたい存在がいて、こうした「非常識な発見」をしてくれるのだろう。その変わり者のおかげで、一般人は、気づかれなかった発明に気づき、埋もれていた進化の恩恵に浴することになる。

今日は、渋谷BOXXにて「松任谷由実コンサートツアー2009 TRANSIT WOW FES! SPECIAL」の「3D映像」を見た。ユーミンの今年のツアーの一部を3D映像で再現したもので、おどろくほど鮮明な三次元映像だった。この映像技術が、5年後にどのように展開しているのか、今はまるでわからない。携帯電話も、テレビ網も、自動車も、いまも進化を続けている。しかしその進化の実態は決して目に見えることはない。進化はつねにでたらめに起こり、その結果は後になって発見される。