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あの彼は君ではないのか

Erwin_Schro_dinger.jpg以前、鴨長明の『方丈記』について書いてみました。そのテーマとして考えたのが「無常観」。特に、デビッド・ボウイにも登場いただいき、西洋と東洋の「無常観」のちがいなども考えました。そもそも西洋の考え方に「無常観」というものはあるのだろうか。

そこで書庫(というほどでもないけど)より一冊の本を取り出しました。ちくま学芸文庫『わが世界観』という本です。著者は、エルヴィン・シュレーディンガーというノーベル賞も受賞した物理学者。いまはなぜか「シュレーディンガーの猫」のほうが有名のようです。難解な本です。はっきり言ってかなり背伸びして読んで(ページをめくって)います。(汗)

なぜシュレーディンガーか。彼は西洋の物理科学者の代表格なのですが、独自の東洋的宗教観を持っていたことで有名だからです。晩年はウパニシャッド哲学なども研究していたそうですよ。

この天才が、この世を去る一年前に、残した『わが世界観』が、面白くないわけがない。早速、一部読んでみたいと思います。まず「自分という存在」について。

「かくも突然に無から君を呼び覚まし、君になんの関係もないこの光景を、ほんのしばらくの間君に楽しむようにさせたものは、いったいなんなのだろうか。<中略> おそらく百年もまえに誰かがこの場所に座り、君と同様に敬虔な、そしてもの悲しい気持ちを心に秘めて、暮れなずむ万年雪の山頂を眺めていたことだろう。<中略>はたして彼は、君とは違う誰か他の者であったのだろうか。彼は君自身、すなわち君の自我ではなかったのか。君のその自我とはいったいなんなのだろうか。君が、すなわち誰か他の者ではなくまさに君が、この世に生を享けるために、いったいどんな条件を課す必要があったというのか。」

波動力学という最先端の理論を作り上げた物理学者は、亡くなる直前まで、このような「根源的な問いかけ」を続けていたんですね。僕ごときが「自分とは何か」なんて疑問への答えが見つかるわけがないよ。シュレーディンガーという「西洋の巨人がみた東洋」について、続けて読んでみたいと思います。