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kazuosasaki blog

ジェフの就職活動


ザ・ビートルズ中期作品のエンジニアを務めたジェフ・エメリック。彼の著書「ザ・ビートルズ・サウンド 」には、彼が高校生だったころの就活活動について詳しく書かれている。それがまるで、現代の学生の就職活動について聞くような話なのだ。ある意味で、現代と同じような就職難だった。ジェフの試練は、現代における学生の就職活動の苦境に重なるものがある。

ジェフが高校を卒業する1960年代。レコード産業が膨張しすぎた現在とは逆の状況で、レコード会社そのものが数えるほどしかなかった。レコーディング・エンジニアという職種は、稀少職種だったのだ。ジェフの就職活動は、困難を余儀なくされて当然だったのだ。

ジェフ・エメリックが、彼の就職活動における「守護天使」と呼び、感謝の念を捧げているのは、高校の就職指導教官だった、バーロウ先生だ。就活の守護神が就職指導教官であるというのは、当たり前のようだが、これが当たり前の話ではないところが面白い。はじめバーロウ先生は、レコーディング・エンジニアなどという、風変わりで就職口も少ない仕事など、あきらめるように説得し続けていた。ジェフをなだめすかして、「もう少しまともな」仕事を進める。当時の就職指導の教員として当然のことだろう。

しかし、ジェフの心には、レコーディング・エンジニアになることが自分の運命であると信じる、信念にも近い「確信」があったのだ。このことが、いつかバーロウ先生の心を動かし、ついに自分の「運命の道」を切り開くことになるのだが、一体ジェフはどのようにしてその「確信」を得ることが出来たのか?そのは、ジェフが幼少期に体験した、一連の「事件」に関連している。

ジェフ・エメリックは、少年時代に特別な英才教育を受けたわけではなかった。しかしその彼が、世紀のバンド、ザ・ビートルズの録音において、天才的な「耳」の能力を発揮するようになったのは何故なのか。そしてまた、彼がその現場に立ち会うこととなった、その運命が彼におとずれた理由とは?

おばあさんの家の地下室で見つけた箱の中に「あのレコード」がはいっていたこと。誕生日に貰ったプレゼントが蓄音機だったこと。BBCが行ったラジオによるステレオ実験放送。寛大な音楽教師に出会ったこと。高校の就職カウンセラーが、誠実なバーロウ先生だったこと。こうしたことは、別に当時のイギリスの少年にとって「特別なこと」ではないだろう。当時のどの少年にも起こりえた「ありふれた出来事」ではないだろうか。

しかし、未来の名エンジニア、ジェフ・エメリックは、こうした「ありふれた出来事」に出会うたびに、自分自身の運命とも言える「人生の進路」を、着実に見いだしていく。「自分が大好きなこと」をひとつひとつ確かめていくということが、「自分の人生を発見すること」である。こうしたプロセスこそが、まさに自分の天職を見いだす道なのだ。

高校の卒業が間近となったジェフは、就職カウンセラーの、バーロウ先生の勧めのままに、4つのレコード会社に手紙を書いた。しかし当然ながら、いずれも不採用。しかしジェフは決してあきらめなかった。なぜならば、彼には「レコード・スタジオ」で働くことが、自分の運命であることを確信していたからなのだ。

そしてある時、ついに扉は開いた。
バーロウ先生のもとへ、EMIからの「ある知らせ」が届いた。

誠実でいつも彼のことを考えてくれていた、バーロウ先生。レコード・エンジニアという不安定な仕事につくことに反対しながらも、応援しつづけてくれた先生。この先生が、ジェフにとって本当の「守護天使」となった瞬間。この瞬間が訪れたのは、ジェフ自身が、その心にゆるぎない「確信」を持ち続けていたからなのだろう。

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「偶然」を見方にする

ザ・ビートルズの作品群、それらはまるで、はじめから完璧に計画されたように仕上がっている。今となっては、すべての楽曲が、神聖なるマスターピースとして、誰も手を触れることのできない決定盤を形成している。

しかし、ジョージ・マーティンや、ジェフ・エメリックの著書を読めば、これら傑作の違った側面が見えてくる。これらの「完全なるもの」も、制作当時の出来事を通してみれば、さまざまな偶然の中から生まれたのだということが分かる。しかもそれらは、すべてがハッピーで順調な出来事ばかりでなく、不愉快なぶつかり合いや軋轢、不幸なアクシデントなどもふくめての「偶然なる配材」なのだ。当のビートルズですら、その時に行われているセッションの最終形がどうなるのかは、良くわかっていなかった!

こうした、アクシデントや単なる偶然から生まれたものは、その価値を否定したり無視してしまったりすれば、それでゴミ箱行き。しかし、これらの天の恵みを受け入れて、オープンな心で価値を認めることによって「単なる偶然」は「小さな奇跡」となる。まずは、それを受け入れることが重要なのだ。ザ・ビートルズという「巨大な奇跡」は、こうした「小さな奇跡」の発見。ザ・ビートルズとは、そうした奇跡の連続体だったのかなあ。今、そう思う。

不朽の名作「サージェント・ペッパー」の録音制作に関するエピソードには「偶然の配材」による傑作パートがいくつも存在する。短期で時には意地悪く、いろいろなアイデアを出し散らかすジョン。音楽の求道者のようなポール。クールで皮肉屋、ジョージ。時にとんでもない「言い間違い」や「思いつき」を生み出すリンゴ。彼らとともに、プロでユーサーのジョージ・マーティンと、エンジニアのジェフ・エメリックらは、彼らのドタバタの数々と、エネルギーのぶつかり合いを、名作アルバムへと昇華させていく。

あなたは「グッドモーニング」ニワトリの声とジョージのギターが、どうしてあんなに完璧にマッチしているのか知っていますか。「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の昼間部に出てくるポールの曲に、あまりにぴったりの「目覚まし時計音」が出てくるのは何故なのかご存じでしたか。リンゴが歌う「ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」が、2曲目に来た理由は。どれも、私自身が「ずーっと信じていた理由」とは、まるで違うものでした。すばらしい本を、それぞれ書き残してくれた、ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックに感謝。

Photo by wikimedia : The Beatles as they arrive in New York City in 1964 / Date= February 7, 1964 /Author= United Press International