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kazuosasaki blog

オフになってしまった

chidejika.jpeg2011年7月24日(日)
ほんとうにオフになってしまったね。アナログテレビ放送。
停波までの二ヶ月ほどの間に、見たこと考えたことをまとめました。
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▼58年間ご苦労様でした。

この目でしっかり見ました。今日の正午。フジテレビの27時間放送の真っ最中です。「笑っていいとも」の放送前リハーサル中という設定? 出演者が全員ハケて、ナイナイ岡本さんが残ります。そして最後のカウントダウン。「ゼロ!」のところで、オープニングテーマがスタート。しかしこれが、アナログ放送では、突然すべてが止まる。 そしてテロップ静止画面にアナウンス。「ご覧のアナログ放送は終了いたしました」

ぜーんぶ、ブルーの静止画になっちゃった。ぜーんぶです。民法連とNHKとで「ブルーの画面にする」ということだけは、決めてたんだろうね。でもなんだか各チャンネルを見ると、内容やレイアウトがバラバラ。ちょっと残念。24時までは各チャンネルの放送なので、まだ個性を競ってる。でも、統一メッセージでも良かったのではないかしら。

それで24時にはどうなるのか。各局一斉に「砂嵐」となります。(電波の返上)日本テレビは、その直前の23:58から、なつかしの「ハトがはばたくロゴ(通称:鳩の休日 / ヤキトリ)」を流していました。「58年間ありがとうございました」というご挨拶もありました。本当におつかれさまでした、という気持ちになった。

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▼これだけ大騒ぎをし、予算もつぎこんで「アナログ停止」を達成したのは何のため?

テレビを高品質なサービスとし、国民の資産である電波をフリーにして再活用するためです。しかし、その肝心のアナログ跡地の利用計画も、あまりはっきりしていないのが現状です。最も使いやすい「UHFの一部」は、逼迫する携帯電話の利用に割り当てるということです。しかしその割当が進んで「オン」になるのは2015年頃のことだって。 ラジオのデジタル化に活用という話もまだまだイメージ段階で「オン」にはならない。高度道路システム(ITS)は、総務省と警察庁や国土交通省との話し合いがこれから始まるかどうか。これも「オン」にならない。だったら、なぜこんなに急いだの?

唯一、来年春から「オン」になることが決まっているのは、「モバキャス(マルチメディア放送)」ですね。これにはぜひ期待したいところ。しかしこれも、どうもあまり盛り上がってはいないようす。経営母体である「mmbi」がしっかりと牽引して、良質のコンテンツを作らなければ、広告収入だって十分に見込めるのかどうか危うい。関連する企業体も、どこか及び腰。

こうした状況のさなか、21日には情報誌「ぴあ」が休刊。「情報における紙の役割は終わった」と潔い引退声明。若者文化を牽引した、情報誌39年の歴史が終わった。テレビ、ラジオ、雑誌、新聞。マスメディア4媒体は、いずれも「オフ」の方向に向かっている。結局「アナログは終わるべくして終わった」と、そういうことかしら。

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▼アナログが「オフ」になって、「オン」になったのは何?

18日、六本木ベルファーレ跡地にオープンした「ニコファーレ」。AKBや東方神起が出演したオープニングは、65万人が視聴。リアルタイムCGを実現した最新技術と、LED大画面に囲まれて、ニコ動ファンの心をつかむ演出が繰り出されて、多いに盛り上がったそうです。( リアルタイム弾幕、有料視聴、サイリウム・メッセージ、バーチャル花束、どれもテレビには真似できないよね )

テレビ離れが激しい20代。しかし彼ら20代人口の7割を会員として擁するのが「ニコニコ動画」だ。テレビを見ているのは、もう高齢者ばかり。若者たちはネット世界へ移住。アナログ放送の停止は、これを加速することだろう。「今日でテレビとはお別れした」というつぶやきが、ツィッターのTLに流れている。これでもう「勝負」は見えたようなものかもしれない。今日この日、「オン」となったのは「ネットの住人」の皆さんなのではないでしょうか。

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▼「街頭テレビ」が現役活躍中だったという話。

大阪に出張したおりに、地元の新聞記事で知ったのです。大阪市西成区の「あいりん地区(釜ヶ崎)」の中心部には、「萩之茶屋南公園(通称三角公園)」という公園がある。ここには、高さ2.1メートルの鉄製支柱の上に、観音開きの鉄箱にはいった「街頭テレビ」があるんですって。設置されたのは、東京五輪直前の1964年9月のこと。「労働者の娯楽と民心の安定」のために設置されたと言い伝えられているそうです。

この「街頭テレビ」は、過去に5回リニューアルされおり、月500円程度の電気代も、NHK受信料もなぜか、ずっと大阪府警が負担しているという。今では、その経緯を詳しく知る人はいないというが、おそらくは地元の労働者の娯楽のために、大阪府警が「ひとはだ脱いだ」ものだろう。

大阪府警の粋な計らいだ。当時の労働者の多くは、簡易宿泊所での寝泊まりや路上生活を強いられていた。かつて大阪府警西成署には「遠山金四郎」のような名奉行の署長さんがいたのだろう。

いまでは生活保護を受給するようになり、テレビのない生活からは脱したが、今も人とのふれあいを求めて集まって来る。プロ野球阪神戦の中継のときには、50人近くが集まって観戦していたそうだ。

7月24日には、このテレビも砂嵐しか映さなくなったはず。三角公園の街頭テレビ。どうなったのかなあ。

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▼砂嵐の予告

2011年の5月あたりから、ついにアナログテレビの画面内に「このテレビはまもなく映らなくなります」というメッセージがはいるようになりました。画面の左下に、結構おっきく出るので、もともとの画面にスーパーがはいってるときは、すごく見づらい。DPAにいるの友人の話では、これはもともとの計画どおりのことで、アナログ放送終了にむけて、どんどんエスカレートしていくように決まっていたということなのだ。

でも、これは東日本大震災の前に決めていたことでしょう。日本全体が、なかなか進まない復興に苦しんでいているこの時にこれかねー。被災地や全国各地で、アナログテレビしか持っていなく人もまだ多いなかで「このテレビは映らなくなります」って、ちょっと、メッセージの出し方がきつすぎなかっただろうか。

ビジュアル・アーティスト季里ちゃんの体験談より。
以下、(まんま)抜粋させていただきます。

< 先々週、テレビが突然砂嵐!になり、程なくして地デジカが、「驚かしてゴメンナサイ。お宅のTV、まもなくこーなりまっせ。」のCMがあった翌日からTVが写らなくなった。時々電源源が入らないことがこれまでもあったけど、コンセントを抜いて差し込んだらオッケーだったのに。。地デジ化の日のリアル砂嵐を体験したかったけど、そのために修理に出すのもちょっとね。。>

今回の話はホント笑いました。元NHK職員として、笑ってていいのかなーと思いながら。せめて、「ご迷惑をおかけしますが...」くらいの謙虚な表現な態度でもいいのでは? ただでさえ、若者のテレビ離れが激しいんですから。今回のアナログ停波で、テレビを奪われるのはおそらく高齢者が多いことでしょう。もう少しソフトな表現も出来たのでは?

しかし、この「砂嵐CM」のギャグセンスって、どこかで見たぞ。何かに似ている。そうだ、あの松本(博多B型)復興大臣のきついギャグに似ている。復興の公務で疲れた岩手県知事に、「がんばれ」と書いたサッカーボールを蹴り込む。あのセンスに近いね。上から目線で、ちょっと傲慢にスベる感じ。「いくぜ!砂嵐」って。季里ちゃんのうちの大事なテレビさんにとどめをさしちゃった。あんまりだったね。