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kazuosasaki blog

ブックメーカー

_1.png一時期、ロンドンにあるロイヤル・カレッジ・オブ・アート( RCA )と言う美術学校に通ったことがある。アニメーションの短期コースにもぐりこんで、リチャード・テイラーという老先生の下で研究をしていた。その時僕は、すでにNHKの職員だったので、研究と言ってもそれは勉強ではなくて、デザイン産業についての市場調査(フィールドワーク)のようなものだった。

テイラー先生はイギリス人らしい、へんてこなユーモアにあふれた優しい先生だった。BBCで放送していた、幼児向けの教育番組「ビッグ・マジー(写真)」は、彼の作品。この番組の「のほほん」とした雰囲気は、まさにこの先生の人柄から出たものだと思う。みんなからとても慕われていて、若い女子生徒たちも平気で「ディック!」「ねえ、ディックー!」と呼ぶ。老大家なのに、ファーストネームで呼ばれているのが、なんだか可笑しかった。

彼のユーモアのセンスは、本当に独特。例えばこんなことがあった。ロンドン市内でのフィールドワークの途中、僕と一緒にトイレで用を足していたとき(つまりディックと僕が "つれション"をしていたとき)ウィンクしながら、僕に向かってこんなふうに言うのだ。

「チャンスは絶対に逃さない。 ( Never miss opportunity. )」

トイレを見たら必ず用を足しておきなさいよ。ロンドンでは、なかなか公衆トイレも少なくて、次にいつ見つかるかわからないですからねという意味だ。僕は笑った。イギリス人のユーモアに触れた気がして嬉しかった。でも彼は、そう言いながらも本当は、「人生のチャンスも逃すなよ!」って言ってくれていたんだな。今はそういうふうにも思う。


またある時、やはり彼と一緒にソーホーあたりの繁華街を歩いていた時のこと。ブックメーカーらしき店の前を通った。僕は日頃の疑問を解決すべく、こう聞いてみた。

「ディック。この店は中で何をやってるの?」

僕もだいたいは知っていた。パブやレストランに混じって、ちらほらと見えるブックメーカー(賭け屋)の店について、中でどんなことをやっているのか。ブックメーカーというと、世界中のできごとを、何でも「賭け事」の対象としている胴元だということ。W杯はもちろんのこと、ホットドックの早食いコンテスト、日本の大相撲や選挙とかも、このブックメーカーにとっては格好のテーマだ。

僕の疑問は、なんでこんなに街中に、堂々と「賭け事」のお店があって、それで繁盛しているのかということなのだ。それにお客と言えば、割と普通のイギリス人のようにも見えるし。それに対するディック先生の答えがこれだ。

「意志決定の幻想さ。 ( Illusion of making decision. ) 」

「イシケッテイのゲンソーですか?」と、僕。

「この店に来る連中は、自分が重要な人物であると思いたいのさ。何かの意志決定のプロセスに関わっているような人物であるとね」

これを聞いて僕は、ブックメーカーについてだけでなく、「賭け事」そのものの本質についても、分かったような気がした。「賭け事」というのは「お金儲け」をするためだけにあるのではないのだ。

会社でスポイルされて、「意志決定プロセス」からはずされてしまった人。あるいは偉くなりすぎて、その「意志決定プロセス」の依存症になってしまった人。どの職場にも沢山いるのではないだろうか。こういう人たちが、自尊心を取り戻し、再び「意志決定のプロセス」を実感するために、競馬やパチンコ、賭けマージャンなどが存在するのかもしれない。

日本では「賭け事」のおかげで大変なことになってしまった。大相撲名古屋場所は、中堅力士の解雇や、NHKの生中継中止もあって、さっぱり盛り上がらない。ロンドンのブックメーカーではどんなことになっているのやら。「賭け事」騒動のおかげで「賭け事」が成り立たなくなっているのかもしれない。