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エピソードのある友情

鶴見俊介先生と重松清さんの対談集「ぼくはこう生きている君はどうか」の中に、「エピソードのない友情は寂しい」という話しがあった。最近の子ども達は、本気で喧嘩をしない。喧嘩するとしても、思い切りぶつかるかわりに、ほんのささいなことで傷つけ合うようだ。メールのちょっとした一言に過剰反応。友人の空気を読まない行動にムカつく。行動や外見が仲間と違うというだけでシカトする。

ところで映画「BECK」のバンド、BECKは五人です。五人の友人どうしが、思いっきりぶつかり合って、お互いの力を引き出しあっていく、まさに「エピソードのある友情」の物語なのです。個性派ぞろいの五人が、いかにバンドメンバーとして結束していくのか。いかにしてそれが壊れていくのか。そしてまた、新しいエピソードのもとで再生していくのか。堤監督は、この傑作マンガの映画化において「エピソードある友情」というテーマを軸にしたのに違いないと思う。

ビートルズの四人も、いつかそれぞれのメンバーの成長とともに崩壊していくのだった。共通の目的をめざす仲間が起こすいざこざは、同じ目標を追うからこそ激烈になる。お互いを思いやる気持ちよりも「なんで、おめえは本気でやらねえんだ!」という怒りが先に立つ。

私もテレビ局生活の中で何度も経験しました。長い間同一のスタッフが一緒に仕事をしていると、いつか必ず不協和音が生じて来るものです。決して仲が悪いわけではないのだけれども、長期間の仕事では、一日一日の積み重ねの中で、ちょっとしたすれ違いや誤解が、だんだん大きくなっていくもの。「あれ?これって昨日決めたこととちがうじゃん!」「この間はこれでいいっていったじゃん!」なんていう、ちょっとした行き違いの繰り返しが、いつか「おめえとは、もう、二度と仕事をしねえ!」というコトバの爆発で最後を迎えるのです。

最初は素晴らしい成果を上げたチーム。しかしいつか、どこかに問題が生じて、調子がおかしくなる。信頼しあっていた仲間を、信じられなくなる。一度は機能したチームが、個々のメンバーの成長によって、結束力を失っていく。その時に、同一メンバーで、難局を乗り切るのが良いのか、思い切ってメンバーを交代したほうが良いのか。グループで仕事をする場合、いつか必ずおとずれる問題なのです。

だから、黒澤監督の映画作品を作り続けた「黒澤組」のような存在は、本当に素晴らしい。あれだけの作品を創り上げる以上、スタッフそれぞれにかかるプレッシャーたるや、大変なもの。おそらく、撮影現場では、いくつもの「エピソード」どころか「事件」が起こったに違いない。それでもやはり、ほぼ同一メンバーが、繰り返し映画製作に加わるということは、相当なものだ。黒澤監督という人物の求心力がそうさせるのか。それとも、黒澤組という場が持つ、人間力教育のようなものがあるのだろうか。