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スラムドック$ミリオネア

スラムとは「貧困で犯罪に満ちた地域」のことだが、インドのスラムはそんなものじゃない。映画「スラムドッグ$ミリオネア」の監督、ダニー・ボイルはそう言う。この映画に描かれているスラムとは、煮えたぎるようなエネルギーと活力、人々のポジティブな生命力を生み出す、パワーポイントのことだ。この映画自体が、混沌の中から生まれる圧倒的なエネルギーに満ちている。

だがそれにしても、インドのスラムは、映画を撮影する者にとっては悪夢のような場所ではないだろうか。映画の製作というものはとにかくお金のかかるもので、効率的に整然と撮影を進めない限り、時間(つまり予算)が湯水のように消えていくもの。明日の予定はおろか、当日の撮影自体が可能かどうかも怪しい場所で、何もかもがその日任せのような撮影は、監督にとって相当なストレスだったろう。

昨日はあったはずの建物が、今日は突然壊されていたりするのが、ボンベイでは日常のことだそうだ。東京での映画撮影でも、長い撮影期間中に一度くらいは、予想外な状況で撮影不能となることはある。しかし、それが日常的におきる場所とは、撮影クルーにとっては地獄だろう。とにかく先々のことを予想して計画することが出来ない場所で、「一日待っても、1カットも撮影できない状態が続き」悩まされ続けたこの映画。この作品を歴史的な傑作に仕立て上げたダニー・ボイルだが、この作品の撮影は「他の映画ではあり得ない難しさ」だったと語る。[*1]

しかし、彼は「とにかく、事前に決めた予定通り撮影しよう、なんて思わないようにした」と語っているように、「なるようになれ」という覚悟で撮影を進めたようだ。夕方まで何も撮影できなかった日でも「突然、すべてが輝きだして圧倒的なシーンが撮影出来たりする」のもこの国ならではという。西洋文化の中心であり、かつてはインドを支配したイギリス・マンチェスター出身のボイル監督だが、この映画の撮影では、東洋流の価値観に身を任せることにした。東洋スタイルの撮影によって、インドの魅力を引き出すことに成功した。

悠久なる時間の流れ、壮大なる宇宙の創造原理、永遠に繰り返される人生の因果応報。そもそもこの映画の原作「ぼくと1ルピーの神様」には、人生の不思議で深い縁(えにし)描かれている。こういう東洋的な考え方を、映画制作のプロセスに取り込むことで、インドの神様を味方につけたのかもしれない。そしてさらに、ダニー・ボイル監督には、この幸運を呼び寄せる秘密兵器があった。それは、何かというと...

[*1] 2009年アカデミー賞最多8部門賞受賞、全世界で97の映画賞受賞
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スケートボードに乗ったカメラマン

それは何かというと、最新のデジタル技術が生み出した小型カメラ「SI-K2 MINI」だ。この映画で撮影賞を受賞したのは、アンソニー・ドット・マントル氏。最初は通常のフィルム・カメラでの撮影を進めたようだが、あまりにもスタティック「静的」なアングルになってしまい、これでは目の前にあるインドの活力を捉えることは出来ないと判断。通常の映画ではまだ使っていない撮影技術を、何でも貪欲に取り入れたという。

「SI-K2 MINI」はシリコンイメージング社のデジタルカメラ「SI-K2」の小型改造版だ。2K デジタルビデオカメラ(2048x1152)で単板の16mmサイズのCMOS撮像素子を搭載している。CineForm規格で圧縮されたRAWフォーマットを直接ディスクに記録する。撮像素子のダイナミックレンジも広く「IRIDASカラーマネジメント技術」により、タッチパネル方式で様々な画調の調整がワンタッチで出来る。

小型のカメラヘッドは、取り外し可能で、記録ユニットと最大100m離すことができる。アンソニー・ドット・マントルは、記録ユニットをバックパックに入れて背負い、カメラヘッドのみを抱えて撮影している。カメラマンのこの格好は、ちょっと見ると、ただの観光客がニコンのデジタル一眼レフを抱えているようにしか見えない。何より「目立たない」ということは、市街地ロケでは最大のメリットとなる。スラムでの撮影で迫力有る映像を撮影するのに、威力を発揮したことだろう。

「SI-K2 MINI」は、ステディカムに装着したり、クレーンに乗せても映像が非常に安定しているという。しかし何と言っても、撮影中のメイキング映像を見ていて、本当に感心したのが「スケボー撮影」だ。通常なら、レール移動などのドリー撮影を、特機クルーの三〜四人がかりでやるところ。これを、なんとステディカムを装着したカメラマンが、スケートボードに飛び乗ったり、飛び降りたりして一人でこなしていた。なんという離れワザ!これも、小型カメラならではの芸当だ。

ただし、この映画の撮影時点では、このカメラはプロトタイプ・レベルだったらしく、撮影現場には、シリコン・イメージング社の技術者が、常に待機していて、数々のトラブル対応を続けたということだ。映画の世界に限らず、技術開発者とクリエイターが協力して、偉業をなしとげるという場合がある。技術者とクリエイター、お互いの情熱がひとつとなって、完全燃焼する現場というものには、なにか奇跡的なことが起こるものだ。彼らの情熱が、アカデミー賞・撮影賞を引き寄せた。
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NAB2009における、シリコニメージング社「SI-K2」デモ映像