kazuosasaki blog

いまだ木鶏たりえず

2010年1月17日。大相撲初場所7日目の今日、30連勝中だった横綱白鵬が、把瑠都(ばると・関脇)に「すくいなげ」で敗れた。前日30連勝でスポーツニュースが盛り上がったばかりで、なんとも惜しいことだ。しかし、横綱というものは、勝って当たり前。連勝記録のとぎれる敗北の時まで戦い続けなければならないつらい仕事だ。ところで、31勝目を賭けたこの勝負の日、白鵬に何かあったのだろうか。

昭和の名力士、双葉山は69連勝の大記録を作ったのち敗れた。70勝を賭けた大勝負に敗れた夜に、双葉山が尊敬する先輩にあてて打った電報の文字が「ワレイマダモッケイタリエズ」だ。「モッケイ」とは「木鶏」、つまり木でできたつくりもののニワトリのことだ。「自分はまだ木鶏のようになれない」という言葉には、双葉山のどんな気持ちがこめられていたのだろうか。

木鶏の逸話は、「荘子」外篇・達生と、「列子」黄帝篇で語られている。闘鶏でつかう鶏を鍛える話だ。相手の鶏が出てきて興奮したり、カラ元気を出したりするようでは強い闘鶏にはならない。どんなに相手が挑発してこようとも、まるで木鶏のように、相手のことなどにかまわず平気にしている。そうまでなれば、どんな鶏でも応戦するものなんかなくなり、相手はみな恐れて退却するようになる。双葉山は、道場に木鶏の扁額を掲げて、ひそかにこの木鶏の工夫を積んでいた。[*1]

双葉山は69連勝までの記録を残し、名横綱としての名を不動のものとしても「自分はまだまだ修行の途中である」と語っているのだ。なんという向上心、成長を願う強い意志。

[*1] 安岡正篤著「老荘のこころ」 p.106 より
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強い力士には「心の工夫」がある。命を賭けた決闘に向かう武士。先物取引市場での巨額取引に身を投じるトレーダー。難手術に挑戦する心臓外科医。こうした仕事では一瞬の判断ミスが命取りとなる。瞬間的重要な判断を行う仕事には、相撲取りと同様に「木鶏のような心」が必要。

心臓外科医だけでなく、胃カメラを扱うような作業や、歯科衛生士の仕事などでも、ちょっとした心の状態によって、うまくいったりいかなかったりするという。朝家を出るときに、ちょっと奥さんと揉めた。ただそんなことだけでも、心のどこかにひっかかりができてしまい、作業に失敗するものだと聞いたことがある。

白鵬の場合、昨日の取り組みの前に何があったのだろう?30連勝を果たして「次は40連勝」を目指して新たなスタートとなったこの日、もしかしたら白鵬には、木鶏にはなれない「何か」が起きていたのかも知れない。おそらくそれは、昼間に食べた「ちゃんこ鍋の汁を、ちょっとこぼした」とか「たまたま乗ったタクシーの運転手の態度が悪かった」など、もしかするととても些細なことかも知れない。

我々の日常生活では、朝から晩まで「イラっとする」ことばかり。木鶏どころか、興奮しまくった闘鶏のような大人ばかりだ。電車で隣人ともめる人、携帯電話に向かって怒鳴る人、クラクションを鳴らしまくるドライバー、メールに思い切り怒りをぶつけるOL。「木鶏の額」でなくともいいので、可愛いぬいぐるみでも、みんな目の前に置いておかなくちゃね。