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サマーウォーズ

昨年夏話題をさらった映画「サマー・ウォーズ」のDVDが、3月3日ついに発売。興行収入16.5億を達成し、数々の賞を受賞したこの作品の魅力が満載だ。ネットや口コミでの評判から、一躍大ヒットとなった「時をかける少女」(2006年)を手がけた、細田守監督が満を持しての長編オリジナル。キャラクターデザインの貞本義行氏、や脚本の奥寺佐渡子氏など、前作に引き続いての参加スタッフの顔ぶれは、ファンの期待を盛り上げるに十分の布陣。( BD & DVD )

日本の社会全体が、巨大な競争システムに覆われてしまった近未来。この映画に登場する「OZ」は、アバターによる最新鋭のシミュレータであり、社会システムそのものでもある。そしてそこはすでに、各個人がそれぞれに「世界との関係を作る」場所でもある。そして、CMU・ロボティクス研究所で、ある人物によって作られた、強力なキャラクターは、全てのアバターを吸収してしまおうとする。

大家族の絆や、先祖代々の血縁をはなれて、巨大な社会に浮遊してしまった個人。現代社会における「受験競争システム」や「効率的経営システム」というものは、その個人をいとも簡単に取り込み、そしていつか、個性のない一単位に変えてしまう。子供たちに受験戦争から逃れる道はなく、大人たちに出世競争から逃れる方法も無い。大人から子供まで、各個人が終わりのない競争に追い立てられる。

ネット社会は、そうした個人に「一時的な避難所」を与えてくれる。しかし本来は一個人であったものが「全体の一部」として取り込まれると、止められない暴走を始めてしまう。それが起きるのもネット社会の特徴だ。かつて、ダニエル・ブーアスティンが「幻影の時代」で指摘した、新聞やテレビというマスメディアが作り出す幻影(イメジ)も、今となっては「まだまだ穏健なものだった」と言わざるを得ない。それほど、ネット社会のメッセージ伝搬力は巨大で計り知れない。

サマー・ウォーズで暴れ回る「ラブ・マシーン」とは、アバター社会における強力な「集票マシーン」そのもの。まるで、たった一回の衆議院選挙で、圧倒的多数の勝利を収めた民主党新政権そのものだ。ラブ・マシーンと、民主党のある豪腕政治家の姿は、何か重なるものがある。浮流する個人の集合体が、いつか雪崩となって、暴走する集団に変わってしまう恐怖。浦沢直樹氏による「20世紀少年」の「ともだち=友民主党」にも通じるテーマがここにある。

こうした危機に立ち向かう「キーワード」は何か? 主人公が慕う、篠原夏希の「おばあちゃん」陣内栄(じんのうちさかえ)が、最も大切にしてきた「人間のつながり」がそれだ。「おばあちゃん」は血のつながった一族だけでなく、たとえ妾の子供でも、かけがえのないひとりの人間として扱う。そして、それぞれの個人が、家族や社会的の絆で結ばれて、正しいビジョンのもとに帰ることの重要さを知っている。

「おばあちゃん」の武器は「長刀と黒電話」だ。ネット社会のPCモ、モバイルも携帯もへったくれもない。アバターも遠隔操作も、シミュレーションもスパコンも何もない。だけど、人間同士の絆、家族の愛、そして人間社会の未来へ向けたのゆるぎない信念と、強い倫理観がある。人間というものは、富や名声ではなく、他者との信頼の中で生きるもの。「おばあちゃん」は、当たり前のことを貫き、この映画を感動のクライマックスへと導いていく。

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スーパーおばあちゃんは永遠に

「傍観者の時代」( 風間禎三郎訳 )という本は、ピーター・ドラッカーのファンの多くが「一番好きな本」にあげる。[*1] この本の中にも素晴らしい「おばあちゃん」が登場する。ある意味で「サマー・ウォーズ」の「おばあちゃん・陣内栄」と、そっくりな「おばあちゃん」だ。

[*1 ] 上田惇生氏の新訳「わが軌跡」 /「傍観者の時代」

ドラッカー氏は、1963年刊行の「経済人の終わり」から、個人を凌駕する全体主義の危険について、常に警鐘を鳴らし続けた。故郷ウィーンでの教員時代に、台頭するナチスの専横を目の当たりにした経験もあって、つねに全体主義の欺瞞を暴き続けた。そして、ひとりひとりの人間の持つ個性を尊重すること、社会に多様な価値観を守ることの大切さを語っている。

「傍観者の時代」もまさにそういう本だ。普段はなにげない存在に見える人間も、ひとりひとりをよく観察すれば、いずれも素晴らしい個性と能力を持った宝石であり、誰一人として「全体の一部として埋もれる」ことなど無い。そういうことを「他人を観察」する「傍観者」という立場で書いている。この本で、取り上げられている人物の中には、精神分析医フロイト、雑誌王ヘンリー・ルースなど、著名人も多い。しかしその中で、最も異彩を放ち、最も忘れられないキャラクターは、ドラッカー氏自身の「おばあちゃん」その人なのだ。

この「おばあちゃん」は、若い頃は、クララ・シューマンその人にピアノを習い、ブラームスの前で演奏した経験を持つ才媛だった。しかし、音楽家として生きることは許されず、今(20世紀)では、まったく時代について行けない骨董品のような存在になってしまった。

ところがその骨董品の凄いこと。ナチスに心酔する若者をまともにしかりとばす。戦後の貨幣価値など信じない。それでいて逆に経済の本質を知っている。取れる限りのパスポートを取得して移住する。そしてなによりも、誰彼とわけへだてない「思いやり」と「礼儀」に貫かれた倫理観。優しさと強さを体現する、ドラッカー氏の「おばあちゃん」は、まさにサマー・ウォーズにおける篠原夏希の「おばあちゃん」だ。

先日、テレビディレクターの友人から「世界の女系社会」の話を聞いた。彼は、ヒマラヤ奥地から赤道直下のニューギニアまで、世界中の秘境を旅して番組を作るドキュメンタリストだ。こうした原始社会には「女系社会」が非常に多く存在しているという。彼曰く、それらの社会には「いじめ」も「自殺」もない。原始的な「女系社会」は、平和と調和のある社会なのだそうだ。

日本の戦国時代ですら、その骨格は「女系社会」であったという。いつの時代も社会を仕切って偉そうにしている男たち。でもいざとなると、男の「真義信条」なんて実は薄っぺらくて危ういもの。それに戦争が起きれば、男なんてみんな死んでしまう。女性的価値観によって守られる「家族愛」こそが、社会を「あるべき姿」に変えてゆく、基本理念なのかもしれない。サマー・ウォーズを見た少女たちが「おばあちゃん」になる頃、日本はどんな社会になっているのだろう。

突然だが、最後にもう一本映画を紹介する。ある花形トレーダーの悲劇を描いた「虚栄のかがり火」という映画。この映画でも、隠れキーワードは「おばあちゃん」なのだ。金融ビジネスの稼ぎ頭だった主人公が、ちょっとした浮気がもとで起こした交通事故。殺人罪の有罪判決をうけて身の破滅というところまでいき...(結末は書きません) 判決文に付け加えて、レオナルド・ホワイト裁判長(モーガン・フリーマン)がこのように言い渡す。「倫理(ディーセンシー)というものは、おばあちゃんの教えのことだ!さっさと家に帰って、まともな人間になんなさいよ。以上」

以下、IMDbから原セリフを引用させていただきます。
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The Bonfire of the Vanities (1990)
Judge Leonard White:

Is that justice? Let me tell you what justice is. Justice is the law. And the law is man's feeble attempt to set down the principles of decency. Decency! And decency is not a deal, it isn't an angle, or a contract, or a hustle! Decency... decency is what your grandmother taught you. It's in your bones! Now you go home. Go home and be decent people. Be decent.