kazuosasaki blog

デーブと影武者

アイヴァン・ライトマンの映画「デーヴ」を観ているうちに気づいた。黒澤明監督の影武者にそっくりだ。といっても、この映画の製作チームのみなさんは大好きなので、別にむっとした訳ではありません。むしろ、その共通性に非常に興味を持ったので、すこし立ち入って考えてみる。

「そっくりさん同士が入れ替わり、それぞれの真逆の人生を体験する」というストーリーが「そっくり」だ。こういうストーリーを何というのか。とりあえず「王子と乞食」にも似ているので「王子と乞食」型とでも名付けておこう。(おそらくすでに誰かが名付けているのだろうが、まあ、かわまず)最近では、父親と娘が入れ替わってしまうとか、男の子と女の子が入れ替わってしまうという、メンタルでSFチックな入れ替わりものもあるが、これはちょっと複雑すぎなので除外。この「王子と乞食」型は、以下の単純なルールに従うものとしよう。

1:実際に生きているそっくりさんが二人いる
2:その二人はお互いに全く反対の人生を送っている
3:その人生が入れ替わってしまいもとに戻れなくなる

このルールに照らし合わせると「デーヴ」と「影武者」とはやはり、どちらも「王子と乞食」型であり、かなり似通った兄弟分の映画だということが分かる。先に進む。

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次に、より詳細な比較を行うために、以下いくつかの視点から、このふたつの映画を比べてみる。

<替え玉の設定について>

「デーヴ」主人公デーヴ・コーヴィックは、良心的な人材派遣業に勤める楽天的な庶民。
「影武者」主人公(そういえば、こいつには名前が無かったぞ)は、処刑されかかった盗人。

「デーヴ」アメリカ大統領、ウィリアム・ハリソン・ミッチェルの替え玉となる。
「影武者」戦国時代の武田家総大将、武田信玄・晴信の替え玉となる。

「デーヴ」では「善人」→「悪人」の替え玉だが、「影武者」では「悪人」→「善人」の替え玉をやると言う点で、設定は真逆である。とはいえ、一般人が一国の総裁の替え玉になる、という点でかなり似ている。
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<本物が倒れてしまう設定について>

「デーヴ」本物の大統領は、公務すっぽかし秘書との不倫中に脳卒中の発作でダウン。それに対して「影武者」本物の武田信玄は、家康の出城・野田城襲撃の最中に、敵の銃弾で深手を負う。本物の倒れるシチュエーションが、まるで違うが、誰も予想しなかった突然のハプニングという点は、共通している。

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<敵を欺くには味方からという設定>

「デーヴ」においても、「影武者」においても、腹心たちが画策する陰謀の手順は一緒だ。「替え玉ではなく本物である」と信じさせるべき相手は、もちろん「敵」である。大統領には、その失脚を狙う数々の政敵がいる。武田信玄にとっては、織田信長や徳川家康などの戦国大名たちが領地を狙っている。しかし、そのためにはまず、味方を欺くことから始めなければならない。

金や力で封じられる口は別として、味方を欺くのが一番むずかしい。真実を知る少数の者たちは、血のにじむような努力で「替え玉」を本物に仕立て上げ、味方の人間に「本物」であることを信じさせようとする。このへんのプロセスが、両方の映画における共通の「見せ場」となっている。

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さあここまでは、ふたつの映画は「かなり似ている」ということが言えるようだが...