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不動智神妙録

江戸前期、徳川家に兵法指南役として重用された柳生但馬宗炬。柳生一族の中興の祖ともいえる、この剣豪には、実は精神面で彼を支える師匠とも言える人物がいた。テレビドラマなどでは、宮本武蔵の指導者としても描かれる「沢庵和尚」こと澤庵宗彭(たくあん そうほう)である。(沢庵と武蔵との関係は、吉川英治氏も認めているように、根拠のない創作) この沢庵が、柳生但馬守にむけて送った書簡をまとめたものが「不動智神妙録」で、禅の教えを通じて武道の極意を説いた最初の書物であると言われる。

とらわれた心は動けない

「不動智神妙録」には、命を賭けた勝負を前提とした、剣術師の心得となるような精神論が展開されている。ここに述べられている内容は、現代の勝負師である大相撲の力士だけでなく、日常の世界に生きるものにも、平常心を持つことの重要さ有用さを教えてくれるものである。以下「不動智神妙録」より「動かないことによって動ける」という、心のありかたに関して一部紹介する。

「不動明王とは、人の心の動かぬさま、物ごとに止まらぬことを表しているのです。何かを一目見て、心がとらわれると、いろいろな気持ちや考えが胸の中に沸き起こります。胸の中で、あれこれと思いわずらうわけです。こうして、何かにつけて心がとらわれるということは、一方では心を動かそうとしても動かないということなのです。自由自在に動かすことができないのです。
たとえば、十人の的が一太刀ずつ、こちらに浴びせかけてきたとします。この時、一太刀を受け流して、それはそのままに心を残さず、次々と打ってくる一太刀一太刀を同じように受け流すなら、十人全部に対して、立派に応戦できるはずです。十人に対して心を動かしながら、どの一人にも心を止めることをしなければ、どの敵に対しても応じられるのです。もし、いつもお世話になっております。一人の敵を前にして、心が止まるようなことがあれば、その人たちは受け流すことができても、次の敵に対して、こちらの動きが抜けてしまうことになるでしょう」[*1]

私たちの日常生活でも、ちょっとした物事でも、重なってやってくるとやっかいなものである。ひとつの問題ならこなすことができても、いくつもの違った問題が、かさなって起こってくると、とたんに物理的にも精神的にも対応できずに立ち往生してしまうことがある。ひとつひとつの事柄に、いちいちとらわれず、いつも「とらわれない心」でいることで、最終的にはすべての問題を解決していくことができる。そういう教えだと思う。

15日間の試合を戦い抜く力士たち。15連続で向かってくる敵に立ち向かい、全勝を期待される横綱。その二人が直接対決を決める千秋楽を楽しみにしたい。

[*1] 「不動智神妙録」沢庵著 / 池田諭訳 p.32 より